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復興レポート

インタビュー | 特集
大火のカタリベ12「齋藤 友紀雄さん」
2021/09/22

 大町区在住の齋藤さんは、母親と弟の3人で暮らしていた自宅を駅北大火で焼失しました。被災から再建までの想いと、被災者として感じた公民館の役割について話を伺いました。


ただ呆然と

糸魚川地区公民館 職員 齋藤 友紀雄 さん

糸魚川地区公民館 職員 齋藤 友紀雄(さいとう ゆきお) さん

 2016年3月まで糸魚川白嶺高等学校の校長先生として親しまれていた齋藤さん。思い出深き高校を定年退職し、翌4月からは糸魚川地区公民館に勤務していました。「これから徐々に部屋を片付け、趣味のオーディオルームをつくって、ゆっくりした時間を過ごせたら」と、考えていた矢先の12月に駅北大火が発生。コレクションしていたCDやDVDと共に、自宅は全焼してしまいました。大火当日、同館は近隣住民の避難所となりましたが、館長から「齋藤さんはとにかく自分の事を」と配慮してもらい、自宅そばの規制線の外から事の顛末(てんまつ)を母親と見つめていました。「最後の最後まで、全焼するとは思っていませんでした。悲しいという感情より、ただ呆然と。運命と思って切り替えるしかなかったですね」。


自宅と雁木の再建に至るまで

 今回被災した地域は、過去にも幾度となく大火を経験し、その度に雁木のあるまちなみも再生されてきました。本町通り沿いに位置する被災した齋藤さんの自宅も、昭和7年の大火で被災した後に建てられた雁木のある町屋(商家(しょうか))でした。昭和7年の大火について、この地域の住宅はほとんどが隣家と壁一枚で繋がっていて、燃え移りやすいから恐ろしいと、当時を経験した亡き父親から何度も聞かされていた齋藤さん。しばらくは他の場所で再建しようと、母親と一緒に土地を探していましたが、父親と同じように大火を経験し、雁木が連なる通りで遊んできた幼少期を振り返ると、生まれ育った場所に戻るのがいいだろうという考えに辿り着きました。元の区画は間口が狭く奥行きが長いため、再建することに迷いを感じていた土地でしたが、運よく隣の土地を譲ってもらえることになり、再建。「今はここに戻ってこれて良かったと思っています」と、微笑みながら話します。
 「歴史ある雁木通りだから、雁木のあるまちなみが全部綺麗に再生できればいいのだろうけどね。実際に自分の家の雁木を再建するかどうかについては非常に時間をかけて悩みました」。
 悩んだ末、最終的には近所の方や母親の意見を尊重することに決めた齋藤さん。現在、雁木の再建に向けて動き出しています。


公民館と自身の役割

 地域住民に社会教育を推進するための活動拠点として設置されている公民館。各市町村の災害時緊急避難場所として指定されている施設も多く、糸魚川地区公民館もその役割を担っています。大火が身近に起こったことが、実際に避難所として運営する際に問題がないか見直すきっかけとなった同館では、利用時間外の発災に対応できるように、近隣の区長には合鍵を渡しておく等の具体的な対策が取られるようになりました。また今年の3月には、災害時用の備品を収める防災倉庫を設置。中には、簡易ベッドや防災テント等が新しく用意され、駅北地区以外で災害が起きた時でも届けられるよう、保管しています。
 齋藤さんは、「市内に21館ある公民館でも存在意義は地区それぞれ。糸魚川地区公民館では幅広い世代の人に利用してもらっているので、これからも安心して楽しんでもらえるサービスを提供していきたい」と述べました。
 大火後、他県からも訪れるようになった公民館の視察に、齋藤さんは「被災者」と「公民館職員」両方の立場で対応しているそう。「自らの体験を語ることで、視察に来られた方に教訓として届いてくれるのではないか」。そんな思いを話してくれました。


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